6/12/2024

2024.06.08 山梨へ

 2024.6.8 コロナ感染拡大で、数年実施していなかった大学の有志同窓会に、参加してきました。私の出身大学は3学部しかなく、1年生の時だけ3学部いっしょです。

その3学部の同窓生の集まりです。今は、地方の大学でも、賄い(まかない)付きの下宿というのは少ないようですが、私の大学入学時は、アパートより、部屋を借りて食事を出してもらうというのが、普通でした(田舎だけ?)。その下宿の付き合いからの始まりです。コロナ感染拡大前は、1年に1度集まり、小旅行と近況報告が目的でした。私含めて2-3人が土日でないと休み取りづらいとのことで、土,日開催となりました。

 6月8(土)山梨県甲府付近の散策予定とのことで、中央線塩山駅(えんざん)集合でした。列車で向かう途中、山手線で人身事故あったとかで、新宿駅で特別快速が、止まってしまいました。都会の右も左もわからない私・・。成り行き任せで、目の前にあった電車に乗り換え。その後特別快速には影響ないとの放送があり、また快速に乗り換え、立川で予定していた13分遅れの特急かいじに間に合い、集合時間13時に10分遅れで、皆さんと合流できました。車で来ている方の3台に分乗して、まずは昼食に。

昼食は、近くのそば屋さんです
ここで山梨名物「ほうとう」をいただきました(食べきれなかった)
今回の参加は8名。みなさん関東に住んでいる方でした。
同級生ですが、みなさん年取っています(もちろん自分も・・)。
幹事のかたが、スケジュール決めていて、まずは恵林寺(えりんじ)に向かいます。
ネットからの恵林寺情報:【恵林寺は臨済宗妙心寺派の名刹である。
元徳2年(1330)に、甲斐牧ノ庄(かいまきのしょう)の地に
頭職(領主)の二階堂出羽守貞藤が、夢窓国師を招き、自邸を禅院とし創建しました。
武田信玄の尊敬を受けた美濃の快川 (かいせん)和尚の入山で寺勢を高め、
永禄7年(156 4 )には、信玄自ら寺領を寄進し当山を菩提寺と定めました。
天正4年(15 7 6 ) 4月、遺言通り三年間の秘喪の後、
武田勝頼は快川国師の導師のもと、父信玄の盛大な葬儀を厳修しました。
しかし天正10年(15 8 2 ) 3月、勝頼は時運を味方につけることができず
天目山下に自刃、甲斐武田氏は滅亡しました。
同4月3日、恵林寺は織田信長の焼き討ちにあい、
快川国師は「安禅必ずしも山水を須(もち)いず、
心頭滅却すれば火も自(おのずか)ら涼し」と言葉を残し、
百人以上ともいわれる僧侶等とともに火に包まれました。】
歴史を感じるお寺です。武田信玄公のお墓もあるようです。
県の重要文化財に指定される三門。
 この三門には、織田信長の焼き討ちで壮絶な火定を遂げた
快川和尚の遺偈が、掲げられていますが、
まさしくその悲劇の現場に、建てられているとのこと。
国の名勝指定を受けている庭園。
恵林寺の庭園は、京都嵯峨野の天龍寺、嵐山の西芳寺(苔寺)庭園とともに、
夢窓国師の代表的な築庭庭園として有名とのこと。
ネコもいました。
次に放光寺に(山梨にはたくさん見所があります。
私は善光寺にしか来たことありませんでしたが)。
お花の寺ということで、「あじさい」が咲いているはずでしたが、
残念ながら時期尚早だったようで、つぼみが多かったです。
次に武田神社に。武田神社は【甲斐の名将・武田信玄公を祀った神社です。 
甲斐武田氏三代である信虎公・信玄公・勝頼公が居館とした
「躑躅ケ崎館(つつじがさきやかた)」跡に創建され、
1940年(昭和15年)には国の史跡に指定されています。】とのこと
勝運のご利益が有名な神社だそうで、 武田信玄を御祭神として祀り、
 商売繁昌、開運、勝運、厄除などのご利益があるといわれているそうです。 
特に、勝運のご利益が有名であるとともに、
「自分自身に克つ」というご利益も戴けるとのことで、
ちょうど野球部の部員がゴゾって、お参りに来ていました。
ここは御利益がある神社と見ました。
もちろん私も、「宝くじ」が当たるように百円をチャリン。
7時過ぎて、宿泊施設に向かいます。
 宿泊施設は、健康ランドになっていて、いろいろなお風呂があり
(あつ湯、寝転び湯、陶器風呂、電気風呂、超音波、サウナ)
1時間近くもお風呂を堪能。
 汗だくのまま宴会です。皆さんのお話し聞いていると、自分の年輪を感じます。
でも精進していないと自覚。
つい酔って、2回目のお風呂には、入られませんでした。朝入りました。

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